■産経新聞 2012/09/24〜27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」
________(2)
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(2)「師匠の誘い受け役者に」
−−吉弥少年が、初めて会った歌舞伎俳優さんが
師匠の片岡我當(がとう)さん。劇的ですね
●吉弥 楽屋には弟さんの(片岡)秀太郎さんもいました。
「歌舞伎が好きなんて変わった子」と思われたんじゃないでしょうか。
師匠からブロマイドをいただいたのを覚えています。
「翌月の舞台稽古も見にいらっしゃい」と言ってくださいましたが、
恥ずかしくて行けませんでしたね。
そうそう、私を楽屋に連れていってくれた上品な女性は、
主人(師匠=我當)のお母様で
十三代目(片岡仁左衛門)の奥様だったんです。
−−そこからどうして歌舞伎の世界へ
●吉弥 舞台稽古には行けなかったのですが、
歌舞伎はずっと見続けていました。
そのうち、大向うの人たちと知り合いになって、
秀太郎さんが付き人を募集しているとうかがったので
「やってみたい」と即答しました。
楽屋に連れていっていただいたら、
また主人と秀太郎さんがいらっしゃったんです。
私を見るなり、「あの時の、あんたか」って。
−−すごいご縁
●吉弥 師匠の楽屋の用事とかするようになって、
礼儀作法も教えていただきました。
憧れていた歌舞伎の世界を裏から見ることが出来て
とても楽しかったんです。
それが「熊谷陣屋(くまがいじんや)」が上演された際、
主人に「この中やったらどの役が好きだ?」と聞かれて
女形では二番手の役の「藤の方」と答えました。
品があっていいなって思ってたんです。
おもしろい子と思われたのか、「役者になれ」と。
−−驚かれたでしょう
●吉弥 ずっと歌舞伎に接することが出来る。
その喜びが大きかったですね。
−−歌舞伎は御曹司じゃないとなかなか大きな役がつかない世界。
そういうことは考えませんでしたか
●吉弥 深く考えていなかったような気がします。舞台って生(なま)でしょ。
実際に歌舞伎の舞台に立ってお客様の反応を直接感じると、
ここでずっといたいと思ったんです。
ただただ、歌舞伎の世界にいたい。それだけでした。
−−でも、歌舞伎俳優になるための訓練は受けていないですよね。
化粧の仕方、衣装の着方など、どのようにして学んだのですか
●吉弥 まずは、足袋のコハゼの留め方、黒衣(くろご)の紐の結び方、
すべて(片岡)當十郎さんをはじめ兄弟子が教えてくれるんです。
そうそう、トンボ(宙返り)の練習もしましたよ。
だって、私、初舞台は「新吾十番勝負」の寛永寺の僧。
立役(男役)だったんですから。
−−いまの、たおやかな女形の吉弥さんから想像できません
●吉弥 結局、トンボはできなかったんですけどね。
それから歩く練習もしました。
上手(かみて)から下手(しもて)までただ歩くだけ。
でもね、歌舞伎って、娘、大名、町人など、身分や年齢、
職業によって歩き方が全部違う。
その人物に合った歩き方が出来ないと人間を表現できないし、
舞台全体を壊してしまう。ただ歩くだけだけど、大変難しいものなのですよ。
−−それから女形になられたのですね
●吉弥 関西は伝統的に立役も女形も修業するんです。
両方やっているうちに、女形は歌舞伎の華ですから、
次第に興味がわいてきました。
(聞き手 亀岡典子)
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■産経新聞 2012/09/24〜27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」
聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
___________________
(産経新聞より転載)
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」
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【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(2)「師匠の誘い受け役者に」
−−吉弥少年が、初めて会った歌舞伎俳優さんが
師匠の片岡我當(がとう)さん。劇的ですね
●吉弥 楽屋には弟さんの(片岡)秀太郎さんもいました。
「歌舞伎が好きなんて変わった子」と思われたんじゃないでしょうか。
師匠からブロマイドをいただいたのを覚えています。
「翌月の舞台稽古も見にいらっしゃい」と言ってくださいましたが、
恥ずかしくて行けませんでしたね。
そうそう、私を楽屋に連れていってくれた上品な女性は、
主人(師匠=我當)のお母様で
十三代目(片岡仁左衛門)の奥様だったんです。
−−そこからどうして歌舞伎の世界へ
●吉弥 舞台稽古には行けなかったのですが、
歌舞伎はずっと見続けていました。
そのうち、大向うの人たちと知り合いになって、
秀太郎さんが付き人を募集しているとうかがったので
「やってみたい」と即答しました。
楽屋に連れていっていただいたら、
また主人と秀太郎さんがいらっしゃったんです。
私を見るなり、「あの時の、あんたか」って。
−−すごいご縁
●吉弥 師匠の楽屋の用事とかするようになって、
礼儀作法も教えていただきました。
憧れていた歌舞伎の世界を裏から見ることが出来て
とても楽しかったんです。
それが「熊谷陣屋(くまがいじんや)」が上演された際、
主人に「この中やったらどの役が好きだ?」と聞かれて
女形では二番手の役の「藤の方」と答えました。
品があっていいなって思ってたんです。
おもしろい子と思われたのか、「役者になれ」と。
−−驚かれたでしょう
●吉弥 ずっと歌舞伎に接することが出来る。
その喜びが大きかったですね。
−−歌舞伎は御曹司じゃないとなかなか大きな役がつかない世界。
そういうことは考えませんでしたか
●吉弥 深く考えていなかったような気がします。舞台って生(なま)でしょ。
実際に歌舞伎の舞台に立ってお客様の反応を直接感じると、
ここでずっといたいと思ったんです。
ただただ、歌舞伎の世界にいたい。それだけでした。
−−でも、歌舞伎俳優になるための訓練は受けていないですよね。
化粧の仕方、衣装の着方など、どのようにして学んだのですか
●吉弥 まずは、足袋のコハゼの留め方、黒衣(くろご)の紐の結び方、
すべて(片岡)當十郎さんをはじめ兄弟子が教えてくれるんです。
そうそう、トンボ(宙返り)の練習もしましたよ。
だって、私、初舞台は「新吾十番勝負」の寛永寺の僧。
立役(男役)だったんですから。
−−いまの、たおやかな女形の吉弥さんから想像できません
●吉弥 結局、トンボはできなかったんですけどね。
それから歩く練習もしました。
上手(かみて)から下手(しもて)までただ歩くだけ。
でもね、歌舞伎って、娘、大名、町人など、身分や年齢、
職業によって歩き方が全部違う。
その人物に合った歩き方が出来ないと人間を表現できないし、
舞台全体を壊してしまう。ただ歩くだけだけど、大変難しいものなのですよ。
−−それから女形になられたのですね
●吉弥 関西は伝統的に立役も女形も修業するんです。
両方やっているうちに、女形は歌舞伎の華ですから、
次第に興味がわいてきました。
(聞き手 亀岡典子)
________(2)
■産経新聞 2012/09/24〜27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」
聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
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(産経新聞より転載)